社長物語
JUMP! ~改革の時~
JUMP!
~改革の時~
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想像すらできなかった嬉しい現状が今ここにあります。南建は建設会社でありながら、公共事業ではなく、仕事の大半が信州の街づくりにかかわる民間事業という大変珍しい建設会社でした。 私が配属されたのは営業部です。建設会社の営業といえばトップ営業―。会社のトップである社長の人脈で仕事をとる、今も昔も変らぬ日本の建設会社の営業スタイルです。 当然のことながら、私の営業配属は父の仕事を継ぐためのものでした。南建の仕事をひとつひとつ自分のものにしていくのと同時に、地元の日本青年会議所に入り、人脈を広げる為に奔走する毎日でした。 無我夢中で走りました。会社の売上は順調に伸び、売上38億という結果をだすまでになりました。でも、ふと後ろを振り返ると喜んでいるのは経営陣だけで、一緒に喜びをわかちあうはずのスタッフ達がただただ忙しく追われ疲弊している姿をみて、愕然としたのです。 |
会長が受注して、私が受注して。そんなことばかり続けていても、結局自分がいかに動くかだけ、自分次第。そういう営業で建てた建物は、社員の充実感・やりがいにつながらないという現実に苦しみました。
大きく方向転換をしよう。そして、南建は街づくりだけでなく、本格的に個人の住宅分野への進出計画、そして賃貸マンションへの進出計画へと進んでいこう、と。
住宅及び賃貸マンションの営業こそ、トップの人脈だけでは成り立ちません。
南建が生まれ変わるチャンスだと思いました。トップ営業で走るのではなく、組織で営業ができるシステムをつくろう。若い人たちが頑張っていたリクルートコスモスのように、若い人たちもできる!という南建にしよう。
でも、それはトップ営業としての責任をはたすこと以上に難しいチャレンジでした。肝心の新卒採用ができないのです。リクルート会場にブースを設置しても当時南建のブースには誰一人近づいてくれませんでした。
どうも建設会社は「怖い」というイメージがあるようです。また建設会社は、「施工」で採用するというイメージが強く営業希望となると絶望的な状況でした。
イメージチェンジを積極的におこないました。建設会社というよりは、住宅会社というイメージに近づくように。
そんな中、平成7年、やっとの思いで新卒1名を採用することができました。何度も何度も学校や親御さんのもとに足しげく通いました。今では考えられないことです。
縁あって我社に入社してくれたその若者が、南建で上手く成長してくれるかどうかは大変重要なことでした。
そして―。
平成15年を皮切りに毎年10名前後の新卒定期採用を開始。
私が南建に入社した当時は、想像すらできなかった嬉しい現状が今ここにあります。若い人達が頑張る建設会社は全国的にとても珍しいようです。長野県では唯一1つの会社でしょう。夢をもち続けて頑張ってほしい。そして私は若い人達を落胆させない会社組織にしなくてはならない。
マネージャーとしての喜びを知った学生時代、若い人たちの限りないパワーを上手く育てるリクルートコスモスの社風。人生には何一つ無駄な経験はありません。
そして、平成15年に新卒定期採用で入社した第一期生達は今では会社の中核となり、活躍してくれています。