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栄光と挫折の陸上競技生活
昭和38年5月13日
昭和54年3月
昭和54年4月
 
伊那市西春近に生まれる。
伊那市立春富中学校卒業
県立伊那北高校入学 陸上競技部に入部
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陸上競技部での主な成績
・高校駅伝全国大会(京都)1年・2年・3年連続出場
1年/5区(3.0km) 2年/6区(5.0km) 3年/3区(8.0km)
・第35回国民体育大会 少年男子Aクラス800m2位
・第11回ジュニアオリンピック Aクラス800m2位
昭和57年4月 法政大学経営学部入学 体育会陸上競技部に入部
陸上競技部での主な成績
・大学2年〜4年まで中距離マネージャーを務め、後輩の育成にあたる。
・箱根駅伝・駅伝マネージャーとして自校ジープに乗る
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▲国体2位のゴール(ゼッケン17番が私)
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▲大学の合宿所にて
高校時代の国体
学生時代のスポーツ活動の結果として捉えれば、それは十分充実した満足できる思い出でした。しかし、その華々しい競技生活が私を導いたのは、学生時代のまぶしい思い出づくり―ではなく、それからの私の長い人生に最も必要となるべき“気づき”でした。まだまだ栄光の絨毯を走り続けるはずだった私は、大学に入り間もなく膝の怪我により競技生活を断念せざるをえなくなりました。体育会の世界では、競技の成績のみが物を言います。早朝起床・早い門限・食事当番・先輩のマッサージ…。記録をだすという目標を失った時、非常に厳しい合宿所生活に意味を感じることができず、何度も辞めようと考えました。

そこで踏みとどまれたのは何故か?
華々しい競技生活で恐らく相当有頂天になっていた私が、一転してどん底の挫折の中へ。
そして与えられたひとつの光。

それは私を慕ってくれた後輩達でした。
私は選手としてでなく、マネージャーの道を歩む事を決意したのです。
新たな目標を与えてくれた後輩達のためにトレーニング方法を組み、その結果後輩が良い成績を残し、共に喜びをわかちあう―。
箱根駅伝では後輩達が立派な成績を残してくれ、とてもうれしいお正月だったことを思い出します。

自分でだした記録の喜びとは違う、それ以上に大きな喜び。時を経て、今、同じ喜びをあじわうために生きているのです。

不思議な運命を感じます。

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